2025‐2026年末年始の営業予定
- bongout7
- 4 分前
- 読了時間: 7分
12月は定休日返上で大晦日まで営業を決め、やる気に満ちてはいたのですが、なんと早々に臨時休業をしてしまいご来店やお電話いただいたお客様には大変申し訳ありませんでした。
4日木曜の就寝前に若干体調がおかしいなと思いつつも21時前布団に入り、
そこからどんどん痛くなるおなか。
寝れないほどの痛みで何事~!?と焦り始めて見た時計。
時刻は23時すぎ。
え~起床まで3時間強しかない、、
仕事開始までに良くなる見込みは怪しい。
そして嘔吐を繰り返し、夜間救急行くべき?と調べだし、
食中毒系?ウイルス系?盲腸?と調べだし、
ふと思い出すちびまる子ちゃん(りぼん連載をリアルタイムで読んでいた世代です)。
小学生の頃に読んで腹がよじれるほど笑ったのに今この瞬間まですっぽり抜け落ちていたものを、こんな時に思い出すなんて。
記憶のが引き出しが開くとはこのことか。
幼少期の文化的享受が深層心理に眠っていて、自分の緊急時にふと浮上してきて判断を計る際の基準になるんだ!と痛む腹にうなりながらちょっと感動。
ちびまる子ちゃんの単行本のどれかの巻に収録されていたさくらももこが盲腸になった時のことを書いたエッセイ漫画。
ズンドコいう痛みをおなかの中がカーニバルとかフラメンコ踊り狂ってるみたいな表現をしていたような、、
うーん、、痛いんだけどカーニバル開催ほどのスパーク感もフラメンコほどの熱情もないなあ、、
ただひたすらずっしりと痛い。
たとえるなら正座した足に重たい石版を乗せる江戸時代の拷問みたいな暗くじりじりした痛み。
生ものも食べてないし、というか言うのを憚られるほど大したものを食べてない。
さくらももこのエッセイでも糸こんにゃくしか食べてないのを医者に言うの恥ずかしかったというくだりがあったはず。
似たようなレベルである。
何度計っても熱は無い。
そのうち2:40にセットされた営業日仕様の目覚ましが無情にも鳴り、速攻で消し、明らかに無理なので仕事はあきらめる。
朝一で見てもらえる徒歩圏内の病院を検索し、心頭滅却しとにかく朝を待つ。
こんなに長い長い夜明けは久々。
そんな感じで金曜営業ができず、休業のお知らせを大家さんに書いてもらい、病院で処方された薬を飲んで痛みが落ち着いたらひたすら睡眠とポカリスエット。
お薬って素晴らしい。
一日ですっきりしちゃって、あれは何だったの?夢だったの?って感じです。
12月残りは再び体調が崩れぬよう休養をしっかり取って堅実に仕事をしてまいります。
みなさまも忙しい年末ですが頑張りはそこそこにしてご自愛ください。
さて、やっと本題です。
前回ブログでもお伝えしてますが、年末年始の営業予定を改めてお知らせいたします。
まず12月はこちらです。

大晦日まで営業します。
7日連続営業でまた胃腸炎になるといけないので、25日から30日までは18時閉店にさせていただきます。
31日は16時か17時頃に閉めさせていただきたいと考えてます。
年始はこのようになってます。

三が日お休みいただき、4日から通常通り営業いたします。
4日、5日とまだまだ正月気分で親族や友人とわいわいされるご予定の皆様はガレット・デ・ロワのご予約のご検討をぜひともお願いします。
表面をパリッパリに仕上げてご用意いたします。
うちの大家さんが店内のガレット・デ・ロワの案内を見て、「あー!これはあれか!あの上がパリパリのやつね。」と言ったので、ガレット・デ・ロワの印象的なおいしさの核は表面のパリパリらしいです。
そして、シュトーレンは張り切って仕込みまくったので、まだまだたくさんご用意ございます。

ぜひぜひこの時期だけの味を多くの方にお楽しみいただきたいです。
発送をご希望の方は着払いで発送可能です。
お電話で対応いたします。
雑記
営業時間外の仕込みの時は大抵何かを聴いています。
音楽だったり、ラジオだったり、ポッドキャストだったり。
今月はオーディブルを契約して聴いており、書籍の朗読以外にもオーディブル限定のポッドキャストを楽しんでいます。
オーディブル限定のポッドキャストに養老孟司先生の「養老先生が人生考えます!」という番組があり、わたしは養老先生好きなので聴いていました。
割と直近で2回(ep25・26)に亘って坂口恭平さんがゲスト出演されおり、その回が非常に面白かったのです。
坂口恭平さんはいのっちの電話という自殺防止の活動をされており、ep26にてその電話にかけてくる人の話を聞く際には言葉ではなく声色で相手の心情を判断しているとのこと。
そしてその声色を楽器の調律をするイメージで相手と話しを交わしていくのだという。
この文章だけ、この切り取られた言葉だけを読むと、
ん?これスピリチュアルな世界観?怪しい感じ?みたいな気がしちゃうかもしれないのですが、事実としていのっちの電話の受信数に対し電話を掛けてきた人たちのその後の自殺者数は警察が活動を続けるように勧めるほどすごく低いそう。
声と言葉はイコールではない。
大丈夫と言っている人が本当に大丈夫ではない場合は声色に出ているもの。
関係性が薄くつながりがない場合は大丈夫をそのままそれだけで受け取ってしまう。
つながりがない場合のみ必要なのが言語の意味で、つながりがあれば言葉以外の心情を受け取れるもの。
現代の人と人とのつながりの希薄さがあらゆる人を生きにくくさせているということを坂口さんは述べていました。
ep25・26を繰り返し聴くほどに染みてくるものがあるなあ~なんて思っていたところにふっと目についた記事がありました。
AERA DIGTALのやさしくなりたい特集の記事。
やさしくなりたい特集、、それはつまり現社会がやさしくないから、そして自身も人にやさしくいられないから組まれた特集なのだろうと思うとかなり切ない。
バードウォッチングに興味があるので鈴木先生関連の記事が高頻度でおすすめされる私のスマホです。
ここに坂口恭平さんが養老先生のポッドキャストで語られた内容と非常にリンクする話(ほぼ同じと言ってもいい)が書かれていました。
2ページ目にそれは書かれています。
「人間は離合集散型という特殊な社会を作っているんです。
家族を考えても昼間は学校とか会社とか、それぞれの人がそれぞれの場所で過ごし、夜に自宅に戻ってきてみんなで顔を合わせる。
(中略)一方、社会性を持つ動物の多くは、常に同じ仲間と共に行動するので、(中略)もし日記をつけたら同じような日記になるはず。
人間はいろんな日記が出来上がるんです。
その中で何が起きるかというと、場を共有することで得られる共感が薄れるということだと思います。
だから人間はそれが少ない分、何かで埋める必要がある。
それが言葉です。
言葉でとにかく相手のことを推測していくしかありません。
でも言葉ってすごくあいまいなものですよね。
(大丈夫が大丈夫ではない可能性云々が語られる。中略)言葉によって得られる共感というのは、おそらく一緒にいることで得られる共感よりかなり低くなるんです。」上部リンクのAERA DIGTALの記事より引用
違う分野の人間が同じ期間に同じことを述べている。
言葉をそのままの形で、それのみを受け取らないということは、言葉の裏を読むということではない。
言葉それだけ(しかも文脈無視で短縮されすぎたもの)をそのままストレートに受け取りすぎだなと最近のニュースやSNSで炎上しているものを見て思うこと。
それはおそらく、素直なのではなくて短絡的かつ思考停止なのだろうなとも。
自戒を込めて。
〆は坂口恭平氏と仲良しらしい千葉雅也氏のピアノで。
師走の慌ただしさを忘れるような独自の時間軸が流れる音楽。

