福笑屋のコーヒーの美味しさについて考える
- bongout7
- 2022年10月17日
- 読了時間: 5分
長く定番として販売させていただいている福笑屋のコーヒードリップバッグ。

エチオピア(浅煎り)、
ブラジルベースのハウスブレンド(中煎り)、
マンデリン(深煎り)、の3種類。
袋を開けるとこのような包みが出てきます。

キリトリ⇒⇒のところを手で切り取っていただきます。
ぱかっと開いて取っ手のようなところをマグカップのふちに引っ掛けます。

これであとはゆっくり湯を注ぐだけ。
スーパーに行けば市販のドリップバッグもたくさん販売されていますが、
入っている豆の量も違いますし、香りも美味しさも全然違います。
飲み比べれるとすぐ分かります。
市販のは飲めなくなっちゃう。
そしてなによりも福笑屋のドリップバッグの良いところは、店主が一から十まで自らの手で作っているというところにあると思います。
豆の仕入れから始まり、焙煎して、挽いて、袋に詰めて、パッケージの印刷、そして配達まで。
福笑屋店主がコーヒー豆を袋に詰める地味で細かい仕事を黙々としている姿を思い浮かべていると、(作っている本人にそんなつもりがあるかどうかは別として)このドリップバッグには数値では計れない何か、実直さやコーヒーを慈しむ気持ちのようなものが自然と込められていると私は感じるのです。
(おや、スピリチュアルに寄ってきたな、、と敬遠しないでください、、そうじゃない)
大きな企業の商品は機械で大量生産されて無味乾燥だ。などとは言いません。
有名なバリスタが監修しました!というようなものもありますし、商品開発から製品化するまでには数多の試行錯誤を経ているでしょうし、人の心や思いは込められているでしょう。
でも、たくさんの人の手を介して消費者の手元に届くまでには段々と薄れていくし、やはり個人店で作られるものとは濃度が違うんじゃないかと。
(いやいやなんの濃度だよ、、と気味悪がらないでください、、そうじゃないんだ)
ちなみにこの3種類のドリップバッグは当店のみの扱いとなっております。
私がわがままを言って飲み比べできる3種類を作ってもらっているのです。
こんな七面倒くさい注文にも嫌な顔せずに受けてくれている福笑屋店主。
ありがたいことです。
そんな福笑屋、今まではキッチンカーの営業やカフェなどへの豆の卸のみのため、出店しているイベントへ出向かないと会えない存在だったのですが、先月から成東駅近くの雑貨屋じんわりさんの隣でコーヒースタンドを始めました。
固定店舗は自分の性に合わないと豪語していたのですが、新展開へと突入した模様。
ぜひ山武市方面に行かれる際はお立ち寄りください。
営業日はInstagramでチェックをお忘れなく。
山武市まで行けないよ~という方はぜひ当店でドリップバッグをお求めいただき、コーヒーを楽しんでいただければと思います。
ご自分でミルで挽いてドリップしたい方には豆の通販もしているので是非ご利用ください。
どの豆でもおいしいので私は自分用はおまかせで注文してます。
↑埋め込めなかったのでURLを。
雑記
本文ではちょっと精神論に寄り気味の事を書いてしまいましたが、変な意味じゃなくて人間のやる事や作るものには人の内面が反映する(又は、してしまう)ものだと思うんですよ。
その昔、私はケーキ屋に勤めていましたが、そこのシェフはとにかく強烈で喜怒哀楽がものすごく激しく、非常に濃ゆい個性の持ち主でした。
ピュアな18歳の頃の私はそのパンチの強さにすっかり魅せられてしまったのです。
その店は、スタッフは少数精鋭、なによりも人の資質を重視するという方針。
そのため日々シェフとスタッフは緊密に仕事に取り組んでおり、心身共にシェフとシンクロするレベルまで求められるため、強烈なシェフの個性が全く薄まることなくお客様に届けることが可能でした。
ケーキや焼き菓子はもちろん、お店の備品まで何から何まですべてにシェフの強烈なエネルギーみたいなものが漲っており、だからこそ店には熱狂的なファンのお客様が非常に多くいらっしゃいました。
目には見えないし数値化は出来ないけど、お客様にはこの店は他とは違う味以上の何かがあるという事は感じ取れたんだと思います。
強烈な個性は人を魅了し強く引き付ける。
という事を身をもって体験したわけですが、
それと同時に、強烈な個性と長期間にわたり真剣に対峙し続けることは人をとことん疲弊させる。
という事も学びました。
だって強烈な個性のシェフのケーキは毎日は食べられないんですよ。
カロリーとかコレステロールとかの問題以前に、シェフエネルギー過多みたいなのが起きます。
飽きるとは違うんですよね。
もういっぱいです、、勘弁してって感じになる。
そしてもういっぱいです、、を超えると許容量がオーバーしてアレルギーが起きます(比喩)。
私は人から見たら変人の部類に入るらしいのですが、強烈さは持ち合わせていないと自認しています(異論ある方は挙手を)。
若い時に強烈なシェフの元で過ごしたせいで、生きていくには強烈な個性を持っていないといけない思い込みからなかなか脱せず個性迷子になっていた時期もありました。
今では毎日でも食べてほしいパンを作っている身ならば、強すぎず弱すぎず中庸な個性を持っているという事は逆に良いことなのでは!と思っています。
もちろん一つ一つ大切に作る気持ちを薄めることは絶対にしませんが。
シェフを悪く言ったようになってしまいましたが、学んだことの多さは計り知れず、今の自分の下地となっていることに間違いがないし、貴重な経験に感謝しているのは記しておきます。
〆はこちら
当時(2000年ごろ)流行っていた強烈な個性の曲。
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