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リユース

  • bongout7
  • 2024年3月29日
  • 読了時間: 5分

更新日:2024年3月31日


また新しい季節が巡り、周囲が目まぐるしく変わっていくことに何の焦りも感じなくなって久しい。

焦りは若さだなあと。


当店は4月からもいつも通りの営業です。


ひとつお知らせ。

ジャム瓶の回収を再開します。

当店のジャムが入っているこの瓶です。(メープルシロップの瓶は回収しません)

ごにょごにょあったので一旦やめていたのですが、捨てるのがもったいないというお声がまた増えてまいりました。


ジャムを食べきったのちに瓶を使わないのであれば洗って乾かしてお持ちください。

お持ち頂いた瓶は再度洗浄し、傷や割れなど点検し、きれいなものを煮沸消毒し、再利用いたします。

また、こちらの蓋は一度使用したものは匂いうつり、錆、変形など繰り返し使うには衛生上の問題があるため再利用しません。

ご自宅で分別ごみに出していただくか、瓶と一緒に持ってこられましたらこちらで処分いたします。


瓶もったいないな~と思われましたら回収していることを思い出していただければ。

今のところ1本につき10円お持ちいただいた日のお買い物からお値引きいたします。


どうぞよろしくお願いします。







雑記


リユースというと瓶などの容器が多いのかなと思いますが、古本もリユースですね。

古本食堂という小説があり、ある読書好きの友人が原田ひ香作品が好きだと話していたのを思い出し再読しておりました。(その時に勧められた新刊も読みたいのだが読む本が渋滞中)


神保町の古書店店主珊瑚と大学院生で親類の美希喜を中心にした、お客さんや周囲の人々との物語。

手土産やお昼ごはんにおいしいお店の食べ物がたくさん出てまいりまして、古書店内で休憩時に店主たちで食べようなどと買ってきたそれらを悩みを抱えて古書店にやってきたお客さん(しかも皆わりとおなかが空いた状態)に毎度毎度ひょいひょい食べさせてしまうのです。

まるでアンパンマンのように。

そして人々は店主のやさしさとよい本とおいしい食べ物によって勇気りんりん活力を取り戻していくのです(すごくざっくり)。


原田ひ香作品で他にランチ酒というものもあります。

グルメリポーターのように料理とお酒を丹念に味わう主人公の祥子。

彼女にはバツイチで子供を手放した過去があり、その悲しみと仕事の疲れを食べて飲むことで解消し消化し、生きる糧としています。

終盤、あまりの落ち込みにお酒を飲むことすらできなくなるのですが、それもまた友人たちのやさしさとおいしい料理とお酒によってじわじわと癒えていくのです。


おいしい料理がある空間は幸せで平和で、おいしい料理を食べることは人生の喜びと思わせてくれるのが上記の作品たち。


おいしいたべものが嫌いな人なんていない(まずいものは嫌い)、おいしいたべものを食べれば誰もが笑顔になる、おいしい=幸せ、それは異論なし満場一致の当たり前の事と疑いもなく思っていたわたしに平手打ちをくらわしたのは高瀬隼子著「おいしいごはんが食べられますように」。


何事にも100%同意なんてありえないわけでマイノリティは必ずいるはずなのに、なぜなのかおいしいたべものに関しては別次元で考えていたというか、完全に頭から抜けていました。

おいしいたべものが嫌いな人なんてこの世にいるの?愚問でしょ。という具合に。

「おいしいごはんがたべられますように」という題名からしてすでにおいしいごはんが出てくるほっこりしたストーリーを想像してしまっていた(装丁もほっこり系)わたしの凝り固まった頭に嫌悪するばかり。


この話の主人公にとって食べることは面倒なことで、人間はおいしいものを食べるのが喜びであると当たり前のように思っている会社の同僚たちに、手間をかけておいしい料理を頻繁に作ってくれる彼女に、その押し付けがましさにイライラしています。


食べ物の興味が薄い人とか、毎日同じもので不満はない人はいるとは理解していたが、そうか、こういう人もこの世にはいるんだよなあ、、、と食べることってまだまだ分からないことだらけだなと思いました。


マジョリティ側の論理の押し付け(1㎜も疑いを持たない万人にとって良いこととして)ほどつらいものはないという事を自分がマイノリティ側に立つ物事に関しては感じるのに、自分がマジョリティ側に立つ物事には思いも至らないなんてまだまだ修行が足りません。反省


おいしい食べ物を食べすぎれば体を壊すこともあるし、やけ食いやけ飲みなどという食べる方も作る方も幸せではない食べ方もあるし、摂食障害であれば食べる事は本当に苦しいことという事も頭には留め置いておきたい。


また、人の作ったものを口に入れ体内に取り込むという事は信用と重い責任が伴う。

裏切ることは許されないが裏切られることもあるわけで、この度の小林製薬の紅麹の件はサプリメントですが口に入れるものであるのだから(まだ全容は不明ですが多くの会社に供給しているようなので食品にも及ぶ模様)「食べること」における人々の信用を大きく揺るがしてしまいました。

作る側は常に慎重に、食べてもらうことを正しく怖がらないといけないなと自戒を込めて。


わたしらしくどんどんネガティブになってまいりました。

とはいえ、ちょいちょい来店してくれる入院仲間が「この歳になると物はいらないのよ。おいしいもの食べる事が一番の楽しみ。」なんて言ってわざわざ車飛ばして遠くからパンを買いに来てくれることもあると素直にうれしいなあと思うのです。

やはりおいしいものがただ味覚が喜ぶ以上に複合的なポジティブ要素を多く具えていることは食べ物屋としては信じていきたいなあ。


以上、食べ物小説から食べるを考える雑記でした。



〆は「おいしいごはんが食べられますように」の優しいひらがな多めの題名と尖った内容のギャップに負けないほど、何やら心配な曲名と甘やかで穏やかなメロディの曲の落差というか乖離がすごいなあと思う一曲で。


チェット・ベイカーは破滅的な生き方過ぎて、おいしい食事に舌鼓を打ち微笑むなんて姿は全く想像できないなあ。


 
 
 

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