かくあるべしができなくて、水無月
- bongout7
- 2024年6月9日
- 読了時間: 6分
経営センスとデジタルセンスがないので、旧ツイッターXもブログも書きっぱなし。
ちゃんとアクセス解析とかして販売戦略をどうのこうの~
ターゲット層をうんぬんかんぬん~
バズるワードを取り入れごにょごにょ~
映える写真でべろべろば~
などとそういうのに長けている資本主義強者的な方々やいろんなとこの営業さんなどから、こうすべしああすべしと言われることがあります。
自分に欠けている部分だし商売失敗して生活が破綻したら切実に困るので、アドバイスしてくれてありがたいですし、そうですね、そうですね、必要ですよね、と頷きはするんだけれども、ただなんかなあ。
そういう人たちの話を聴いていると「お客さんをお金に換算して見ています。いかに多くお金を出させるかの戦いです。」と言っている感じがして(結局は提供するものに対してお客さんにお金を払っていただくので身もふたもなく言えば「お客さん=金」なのは事実だが)、そっと換気扇のスイッチを最大にしてそれらの有難い教えを店の外へ排出してしまう日々なのでした。
が、ちょっとは耳に残してたまにはアクセス解析とかチェックしてみるんですよ。
真面目に見てみたらGoogleでうちのホームページを検索して閲覧される方が一番多いという事をいまさら知りました。
Xからのアクセスが多いかと思っていたらそれは意外に少なく。
なんと、、Xでサクッとお知らせしていることはホームぺージだけを見ている人には伝わってないかも?
さすがにどんなに暇でも両方見ているなんてそんな奇特な人いないでしょ、、
という事で、ここ最近のこまごました入荷などのお知らせをまとめました。
①福笑屋の夏季限定!水出しアイスコーヒーパックが入荷していました。

湯を沸かすことをしたくない夏の救世主。
超簡単な抽出で、味わいはしっかり香りも良く後味はすっきりのアイスコーヒーがおうちで楽しめます。
豆はマンデリンを使っております。
ラベルのシャッと勢いのあるMandhelingの文字がキリっとした福笑屋店主らしい筆跡。
最近なかなか手書きの文字を見る機会が減ったのでよくお会いする人でもどんな字を書くのか知らず、たまの機会にこうやって直筆を見ると、ほおお~と思ったりします。
②甘夏のママレードが出来ていました。

熊本県産の無農薬栽培の甘夏を使用しています。
かなり大量に出来ております。
大量なので定休日に仕込む予定でいたのですが、天気もいまいちだしなんとなく暇ぽい予感があった日に営業しながら仕込み始めたところ、取引先の営業さんが次々に来るわ来るわ。
仕込みが進まないこと進まないこと、完成したのが閉店間際。
9時間かけて(想定外にかかっちゃっただけ)作り上げた渾身のママレードとなっております。
③チョコグラノラが出来ていました。

奥の黒い方がチョコグラノラです。
プレーン同様の穀類、ナッツ類、ココナッツ、ココア、チョコチップ、バナナチップを砕いて入れてみました。
手前のは以前ブログでご案内したものですが、ドライフルーツがクランベリーからレーズンに変更になっております。
カリカリと歯ごたえが良く、腹持ちが良く、持ち歩いても崩れない(もう崩れているから)。
小腹が空いたときの強い味方として、あなたのお傍におひとついかがでしょうか。
④チリ産オリーブオイルが欠品しています。
レジ横の棚にある定番のオリーブオイルですが、世間がオリーブオイル値上がる!大変!と騒ぎだしたときに輸入元の在庫が一気に無くなってしまいました。早いよ。
当店の在庫は1ℓと500㎖が売り切れ、250㎖が20本弱です。
次の収穫したオリーブでのオイルが出来るまで欠品になりますが、時期は分かりません。
運送業2024年問題も関わってくるので去年までと同じスピード感で考えることが不可能なので。
価格はたぶん値上がると思います。
円安はまだ進むのではと経済ジャーナリストの渋谷和宏氏があの優しいお声で言っておられましたし、、。
以上、ここ数週間のお知らせまとめでした。
これからじめっと暑い季節となりますが、色々厳しいですが、パンやその他諸々どうぞよろしくお願いします。
雑記
このところ、「ステレオタイプにはめ込むこと」について考えさせられておりました。
〇〇たる者、かくあるべし。みたいなことはよろしくないという風潮がだいぶ定着してきているとはいえ、まだまだ強固なものはたくさんあるし、全方位に対してステレオタイプな見方を取り外すことはすごく難しいですよね。
始めのほうで書いたようにわたしはかくあるべしの押し付けが苦手です。
でもわたしも無意識に誰かを何かのステレオタイプにはめ込んでいたという事に気付かされることが日々多々あるわけです。
映画「アメリカンフィクション」と、NHKドラマ「恋せぬふたり」を観ました。
なんだかふたつ全然違うようでいて、どちらもステレオタイプにはめられることについて描かれていました。
前者はアメリカにおける黒人という人種のステレオタイプ、
後者は人間は恋愛をするものだという恋愛至上主義のステレオタイプ。
前者では主人公がそのステレオタイプにはまることを嫌悪しながらも、お金のために本心とは違うその型にはまった黒人に擬態しお金を得ることを選び、
後者ではアロマンティック・アセクシャルの主人公が恋愛至上主義のステレオタイプにはめられることを頑なに拒絶しながらも、主張をぶつけあい理解を求め良い形を模索し歩み寄ることを選ぶ。
前者は社会に対する諦めと皮肉と嘲笑、
後者では人間の分かり合えなさに対してある種のわずかな希望の提示。
対称的だけれども根底は一緒で、どちらにも似たような経験あるぞ、、と既視感を感じる台詞やシーンがあり、多くの人にどこかしらで当事者性を感じさせるように描いているようです。
誰もがステレオタイプにはめ込まれたりはめ込んだりして生きていて、はめ込まれる側もはめ込む側も分かり合えない苦しみがあり、お互いがそこから解放されたら楽なのになあ。
しかし、自分が[されたこと]には敏感なのに、他人に[したこと]には鈍感なのはなんででしょうか。
脳が現実から逃げているのでしょうか。
真面目に観ると題材は深く考えさせられるけれど、どちらの作品も軽やかにキャッチーに描かれているので気負わずに観てみてはいかがでしょうか。
※以下ネタバレ含む。
恋せぬふたりの最後は「え、突然のファンタジー!」って思っちゃったんだけども。
それはわたしが現実主義すぎて、家って資産だからそこどうなってんの?
最終的に家の乗っ取りになってんだけど、、と心ざわついてしまったり、
そもそもこのふたりはひとりで生活するのが寂しいから一緒に住むんじゃなかったの?
と???でいっぱいなわけですが、そこは深堀せずに観ればいいじゃん野暮だなあ~て話なのか?
最後まで観きった人に感想を聞きたいものです。
え、このモヤモヤはこれもステレオタイプにはめ込んで観ているからモヤるだけっていうお門違いのモヤりなのかな、、すべては諸行無常なのですという事、、?よく分からなくなってきた。
でも役者も良いし全体的にとてもいい作品だったと思います。
岸井ゆきのさんの泣きながらご飯食べるシーンがとても良かったです。
こうよく分からないことばかり考えて勝手に憂えたりしているのですが、
空が晴れているだけでそこそこ気持ちよく生きています。

初夏の世界(の一部の八千代の端っこ)の輝かしさよ。
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